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みんしゅとうのにしむらだいぎしがたいほされました。
まぁこれについていろいろとますこみやゆうしきしゃやねっとなどでいわれるとはおもうのですが、やえとしましてはひとこと「いんぼうろんはしょせんいんぼうろん。なにもうまれはしませんよ」といっっておきます。
あと、こちらのりんくさきもおよみください。
おもしろいですよ。
みぎもひだりもいってよし!!
ばーちゃるねっとしそうあいどるのやえです。
おはろーございます。
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まずさきにごめんなさい。
きょうのこうしんは、にゅーすきじだけをよんでのこうしんです。
ぶんしょうをかきあげたはいいのですが、ふとしらべたら、もっとくわしいしりょうがかんていにあっぷされていまして、ほんらいならそっちのほうをよくよんでからにすべきぶんしょうなのですけど、ここさいきんこうしんがままならないじじょうもあわせて、きょうぐらいはこうしんしないとみなさまにもうしわけありませんので、とりあえずあっぷします。
きほんてきにはそのしりょうをうけてのにゅーすきじですから、おおすじではかわらないとおもうのですが、もししりょうをくわしくよんでからへんこうてんなどありましたらおってついき、またはさくじょするかもしれません。
とりあえずきょうのところは、ぼうとうへんぐらいにおもっていただければさいわいです。
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さて。
きょうもおんなけいてんのうもんだいについでです。
れいの、こうがくはくしがざちょうというきみょうきてんれつなしもんかいぎがせんじつほうこくしょをこいずみそうりにていしゅつしたとおつたえしましたが、そのないようがせんじつほうどうされました。
なんといいましょうか、おんなけいてんのうをようにんするいけんのせんはかさがすべてしゅうやくされているかのようなないようになっていますので、こんにちはこれをひとつひとつけんしょうすることにします。
まずはきじをごらんください。
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こうしつてんぱん ゆうしきしゃかいぎがほうこくしょ じょせい・おんなけいてんのうようにんをはしらに
こいずみじゅんいちろうしゅしょうのしてきしもんきかん「こうしつてんぱんにかんするゆうしきしゃかいぎ」(ざちょう・よしかわひろゆきもととうきょうだいがくちょう)は24にち、じょせい・おんなけいてんのうのようにんをはしらにしたほうこくしょをまとめ、しゅしょうにていしゅつした。じょせい・おんなけいようにんは「しゃかいのへんかにたいおうしながら、おおくのこくみんがしじするしょうちょうてんのうせいのあんていてきけいぞくをかのうにするうえでおおきないぎをゆうする」とけつろんづけた。
おとこけいいじはがしゅちょうする1947ねんにこうせきりだつした11のきゅうみやいえのこうせきふっきは「こくみんのりかいとしじ、あんていせい、でんとうのいずれのしてんからみてももんだいてんがある」としりぞけた。そのうえで、じょせい・おんなけいようにんについて「おとこけいだんしげんていにくらべ、かくだんにあんていてきせいど」としてき。さらに「じょせいのしゃかいしんしゅつもすすみ、せいべつによるこていてきなやくわりぶんたんいしきがよわまるけいこうにある。せっきょくてきにうけいれ、しじするそじがけいせいされている」としるした。おとこけいいじはからのひはんにこたえるかたちで「はばひろいこくみんのしじがえられるせいどであるかぎり、せいとうせいがゆらぐことはない」ともしゅちょうした。
◆「こうしつてんぱんにかんするゆうしきしゃかいぎ」のほうこくしょこっし
・おとこけいだんしのこういけいしょういじはきわめてこんなん。
・きゅうこうぞくのこうせきふっきはこくみんのりかいとしじ、あんていせい、でんとうのしてんからもんだい。
・じょせい・おんなけいてんのうのようにんはしょうちょうてんのうせいどのあんていてきけいぞくをかのうにする。
・「ちょうしゆうせん」によるこういけいしょうはせいどとしてわかりやすく、まされている。
・てんのう・こうぞくのしそんはよかずをとわずこうぞくのみぶんをゆうする「えいせいこうぞくせい」。
・じょせいこうぞくはこんいんごもこうぞくにとどまり、はいぐうしゃやしそんもこうぞくとなる。
・じょせいてんのう、じょせいこうぞくのはいぐうしゃのめいしょうはこんごのけんとうかだい。
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まず、ますこみのいちぶにもおんなけいとじょせいをこんどうしてぎろんをみすりーどしようといとしているとしかおもえないようなほうどうがあったりしますが、このゆうしきしゃかいぎそのものがそのようにあくいをもってけつろんをだしたとしかおもえなかったりしています。
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さらに「じょせいのしゃかいしんしゅつもすすみ、せいべつによるこていてきなやくわりぶんたんいしきがよわまるけいこうにある。せっきょくてきにうけいれ、しじするそじがけいせいされている」としるした。
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これは「じょせいてんのう」のようにんについてのせっとくざいりょうでしかありません。
じょせいてんのうについてはごくいちぶのにんをのぞいて、ほとんどはんたいしているにんなんていないといっってもいいぐらいなのですから、これだけをいまさらここまでいうひつようはないのではないでしょうか。
そして、まったくもって「おんなけい」ようにんのりゆうにはなっていません。
もしこのもんごんだけで「おんなけい」ようにんのざいりょうになるときょうべんするのであれば、それは「おんなけい」を「じょせい」とこんどうさせてしまい、おとこけいであるじんむてんのうのれきしてきないぎや、それをともなわないおんなけいてんのうにいこうしてしまういみをまったくむししての、いっってみれば「だんじょびょうどう、ともすればかじょうなふぇみにずむにびんじょうした、じょせいをたてればなんでもゆるされてしまうふうちょうをりようしておんなけいをおしすすめてしまおう」というあくいあるいとがあるのではないかと、このはつげんはそれをそんざいしているしょうめいではないのかともいえてしまうのではないかとおもいます。
おとこけいおんなけいのせつめいをせずに、このようなけつろんをだして、これをみすりーどとよばずになんとよぶのでしょうか。
これはますこみにたいしてもどうようです。
げんざいのこくみんのなかにも、おとこけいとおんなけいをめいかくにりかいしているにんというのはすくないというのがげんじょうですから、むしろますこみはそれをせつめいしてこくみんてきぎろんをうながすことがほんらいのしめいのはずです。
しかしいちぶますこみは、そのしめいをおこたり、いやおこたるだけならまだしも、こくみんのむちをりようしておんなけいてんのうをじょせいてんのうとこんごうさせたままこくみんをみすりーどしようとしています。
もしおとこけいとおんなけいのせつめいをしないまま、しかしじょせいてんのうはみとめるべきだというようなしゅちょうをしているますこみがあったら、これはもはやかくしんはんてきに「おんなけい=じょせい」とみすりーどしてんのうけのでんとうをはかいしようとかくさくをきんでいるといわざるをえません。
ゆうしきしゃかいぎも「おおくのこくみんがしじするしょうちょうてんのうせいのあんていてきけいぞくをかのうにするうえでおおきないぎをゆうする」としゅちょうするのであれば、まずいままでれきしのなかでつちかわれてきたてんのうけというものはずっとおとこけいでつづいてきているじんむてんのうけであるといういぎをひろくこくみんにしめしれきしをかんがみて、そのうえでけつろんをだすべきでしょう。
また、そのうえでおんなけいでもかまわないというのであれば、もっとせっとくりょくのあるしゅちょうをしなければならないはずです。
それなのに「せいべつによるこていてきなやくわりぶんたんいしきがよわまるけいこうにある」というだけの、じょせいてんのうをみとめるしかせっとくりょくのないしゅちょうしかしないのであれば、これはもはやいとしておとこけいをつぶしているいしがあるとしかよみとることはできないでしょう。
かじょうがきにされたそれぞれのしゅちょうもかなりむちゃくちゃです。
まず『おとこけいだんしのこういけいしょういじはきわめてこんなん』ですが、どのようにこんなんなのかろんきょがまったくふめいかくです。
もしこのていどのこんきょでゆるされるのであれば、「てんのうせいのいじはきわめてこんなんであるからてんのうせいははいし」というしゅちょうでもとおってしまうことになります。
しかしそうではなくて、ほんらいなら「てんのうけいのいじはげんじょうではきわめてこんなんであるから、なんとかいじできるようぎろんし、せいどをかいぜんしよう」というぎろんをするのがすじのはずです。
そもそも「おとこけいだんしのこういけいしょういじはきわめてこんなん」というのは、はじめからわかっている、こうたいしさまにおとこのこがうまれなかったじてんでわかりきっていたことなのですから、ここでのぎろんは「こんなんであるがこれをどうすればのりこえられるか」というぎろんをするのがまずだいいちにやるべきでしょう。
そしてもしどうかんがえてもどのほうほうをもちいてもおとこけいがいじできないとだんげんできるのであれば、“しかたないから”いままでとはちがうほうほうをかんがえようというじゅんばんになるわけであり、しかしいまのだんかいでは「こんなん」であるのはそのとおりですがけっして「おとこけいがいじできない」とだんげんできないだんかいなのですから、ぎろんが「しかたない」れべるにとぶのはあきらかにすじちがいなのです。
このしてんからみても、もはやゆうしきしゃかいぎは「はじめからけつろんをもっている」といわざるをえないとみるしかないのです。
『きゅうこうぞくのこうせきふっきはこくみんのりかいとしじ、あんていせい、でんとうのしてんからもんだい』というのも、なんらこんきょがしめされていません。
おとこけいおんなけいのちがいすらこくみんのたいはんはりかいしていないというのに、「きゅうこうぞくのこうせきふっき」はわだいにすらほとんどなっていないのに、なぜ「きゅうこうぞくのこうせきふっきはこくみんのりかいがえられない」とだんげんできてしまうのでしょうか。
ゆうしきしゃかいぎはえすぱーしゅうだんなのでしょうか。
これほどこくみんをばかにしたものいいはないのではないでしょうか。
また、『あんていせい、でんとうのしてんからもんだい』というのも、あきらかにれきしをむししています。
どのようなでんとうをふりかえって「きゅうこうぞくのこうせきふっきはもんだい」といっっているのでしょうか。
もしかしてゆうしきしゃかいぎがかんがえているにっぽんのれきしとは、「はいせんからきょうまでのたった60ねんだけ」とでもおもっているのでしょうか。
それならたしかに「でんとうのしてんからはもんだい」でしょう、いままでこうぞくになったことのないいえがこうぞくになるのですから、でんとうをむししているといえるかもしれません。
しかしにっぽんのれきしが60ねんしかないなんて、あめりかとにっぽんがせんそうしたことすらしらないおばかちゃんですらそこまではおもっていないでしょう。
ゆうしきしゃかいぎがどんないとをもって「でんとう」ということばをつかったのかわかりませんが、にっぽんのれきしをばかにするのもいいかげんにしてもらいたいところです。
『あんていせいがもんだい』というのも、やはりれきしをばかにしてます。
てんのうけ2600ねんは、そのおとこけいのほうほうで2600ねんつづいてきたのですから、それをなぜ「あんていしない」といえてしまうのか、はっきりとろんきょをしめしてもらいたいものです。
それともゆうしきしゃかいぎは、「2600としほどどつづいただけではあんていしているとはいえない。1まんねんぐらいつづけばみとめてやる」とでもいいたいのでしょうか。
よくここまでじじつをむしできるとあきれはててしまいます。
『じょせい・おんなけいてんのうのようにんはしょうちょうてんのうせいどのあんていてきけいぞくをかのうにする』は、あんていしていることと、じんむてんのうけがつづくことのいぎとは、まったくべつもんだいです。
おはなしになりません。
『「ちょうしゆうせん」によるこういけいしょうはせいどとしてわかりやすく、まされている』も、おなじくじんむてんのうけのいぎとはなんらかかわりあいのないおはなしです。
そもそも「わかりやすい」というのは、しょせんしょみんのかんかくでしかありません。
しょみんのかんかくでわかりやすいからといっって、それをてんのうけにあてはめてよいというりくつにはまったくなりません。
また「まされている」とだんげんするところもすごいです。
つまり、「じんむてんのうけ2600ねんのでんとうはおとっていた」とゆうしきしゃかいぎはいっっているわけです。
いったいなにさまのつもりなのでしょうか。
どれもこれもめちゃくちゃなしゅちょうしかありません。
やえからすれば、えらいせんせいたちがあたまそろえて、しかもそうりだいじんのしてきしもんきかんなのですからかなりまじめにぎろんがされているとしんじたいところなのですが、しかしこれらのしゅちょうをきいていると、もはやぎもんやふしんかんしかうまれません。
れいせいにかんがえれば、むしろゆうしきしゃかいぎがおんなけいてんのうありきといういとをもってけつろんがさきにあってぎろんされているとかんがえたほうがみかたをしたほうがごうりてきといえてしまいます。
いったいこのしもんかいぎはなにがしたいのか、にほんこくみんとしてふあんしかおぼえません。
ながくなってしまいましたので、こんかいのゆうしきしゃかいぎのけんかいのなかでももっともてきはずれでしょうをかくとくした、『おとこけいいじはからのひはんにこたえるかたちで「はばひろいこくみんのしじがえられるせいどであるかぎり、せいとうせいがゆらぐことはない」ともしゅちょうした』のぶぶんについて、じかいじっくりとのべていきたいとおもいます。
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